2008年8月15日金曜日

『我思う、ゆえに、Perfume有り』その3 かしゆか篇




お待たせしました!・・・あれぇ待ってないか(笑)


『我思う、ゆえに、Perfume有り』 その3

妄想のための妄想曲(話2/2)
~その3〈 かしゆか篇 〉


* * * * * * * * * * * * *

※本人の許可を得た部分(回答)のみ記載、
詳細な記述は必要なときに追補。

「~それでは始めましょう」
・・・
楽しげな話し声と涼しげな水の音がします
まわりは暗く天井が低い そこから出発の様です
透明で透きとおるような湖   どうやらひとりポツンとボートに
なんかひっしで   でもなんかなつかしい  
面白い   泣きそうになるけど
家族  スタッフ
自信はあった  どこまでも

あ~ちゃん:翼をバッサバサ 空をふわふわ飛んでる
のっち:すいすい泳いでる  イルカに乗ってる

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

~翌日~

昨日、3人に会い新鮮なまま心証を記す予定だったが、
「西脇○香」を書き終えたところで言いようのない深い切なさをおぼえた
それはまるで夜空の中に虹を見つけたような感覚だった。
あ~ちゃんの端書での感情の揺らぎは、、
私の心に届いたと自身知るべきか・・・(自分の事となるといやはや)

現象的意識であってもそこで得られた経験は外的世界(現実)と同じように
心に響き基礎付けられる。
そんな"自己との関わり"の中で現存在のあり方や意味づけを分析するとき
誤読や比喩の転用が思考の新たな展開をもたらし洞察の迷走が心の迷宮に
深く立ち入る手段に成り代わる。
そして、それを照らす光りがあるとすれば

それは純愛である。

純愛の正体は偏愛
ただひたすらに恋する
身を焦がす
情熱と欲望
自己完結的な妄想

その純粋さによってこそ
生きる意味を知り
生きる力の光を見ることができる

(答はこれなのか・・・)



問診表(基礎データ)---×→個人的端書

樫○有香 (かしゆか)について

端 書
共有した道筋が困難であればあるほどその絆は強く
信頼と言う純度の透き通るようなよどみなさを生む。
"かしゆか"のパーソナリティ-は二人を映す鏡
そのシンクロ率の高さがPerfume的領域でのバランスの妙を奏でる。
生得的なものとPerfumeとして育んだ成長が全体的な布置からの判断を
になう彼女たらしめた。
その知的静謐さをそなえた樫○有香 (かしゆか)のイメージは
滋味豊かな大人の女性へとシフトするPerfumeの表象を付託している。


夢の見立て
そのまま受け取るべきであろう、夢から訴えてくるもの
あ~ちゃんは悔しさを、かしゆかは怖れを語った。
だが私はここに彼女の安定を診る。
2人(あ~ちゃん、のっち)の才能気質を認めているところに彼女が憂慮する内心がある。
自分にはない何かを持つ人に出会ったとき誰しも個人的尺度で優劣を判断しようとする。
優越性を問い、かなわないと感じたとき、ときにその感情・経験は個人的無意識の領域にしまいこまれる。
彼女の場合コンプレックスは無いよりあったほうがよいのだ、すべてはそれを成長に
結び付けるか否かに係る。
彼女は分かってる、たとえ誤解や勘違いがあっても自分を鼓舞する手立てであることを。

"かしゆか"きみは、あの二人にちっとも負けてなんかいない。

彼女は自分で答を出すそこに芯の強さを診た。

チョロとフー
カレらは彼女の心理的自立に大きく寄与している。
彼女が可愛がり世話をする愛すべきハムスターたち、
それは"かしゆか"の[子供]、そして潜在的には[母親]なのである。
子供は胸に置いた手から伝わる温かみや感触を通して、
母親としてのぬくもりや安心感を享受する。
動物に触れると、脈拍数や血圧が安定することは知られている。
そして、なでたり、さする行為は無意識の中で母親から授乳を受ける
ときの触れ合いを意味する。
人間にとって慈しみは自身と他者の区別なく必要なものである。
また、動物に接する習慣には元気付け、動機増加、感覚刺激、
カタルシスが与えられ、言語活性化、感情表出(言語的、非言語的)、
ユーモアを高める効能がある。
この2人(匹)は彼女の慮る役割性格にも大きく関与している。
カレらを失う悲しみが訪れたとき喪失感を補おうとするのは無理からぬことだろう。
彼女にとって小動物は境遇の重ね合わせ以上に重要なものかもしれない。


感受の多面体
黒ユカ
彼女(黒ユカ)の発現は拍手喝采である。
JKKが王子様のカレー甘口なら黒ユカはマサラ黒ブタカレー激辛である。
本人は思いつきに過ぎなくても現実社会に潜むデモーニッシュな虚構を
乾いた皮肉や辛辣な批判の舌鋒をもって見聞きするものを震わせる(ちょっと大げさだが)
お金と恋愛の話はオフリミットという暗黙の了解は無視、
あ~ちゃんの天然に勝るとも劣らない独自性をそなえたスタイリッシュキャラ。

小悪魔キャラ(≒黒ユカ)
ある意味嬉しいもう1人のかしゆかである。
創作した悪辣キャラとはまるで違うもの、黙契の眼差しに視線を逸らし本音で勝負する
怖いもの知らずの女子である。
小悪魔的であっても悪意は無いのだ、本心から発せられる言葉や仕草は
かしゆか色の憎めない女の子(あるいは女性)に変容し受容する者の心に届く。
純粋で危険な大人のメルヘンを予感させるキャラ。

JKかしゆか
かしゆかの真価が具体性をもって周囲に知れわたった鉄板キャラである。
彼女の話す言葉は、大人社会の寛容さに乗っかり、ナメた口調で闊歩するJKの象徴であるが
それにとどまらずおちゃめでシュールなセンスを帯びた"JKかしゆか"のすっとぼけぶりはすさまじい、
目を細めて見守るべきアニメチックなオルタナ系ロリキャラである。

イケメン、チャラ男、かしゆかばーさん・・・・
何をやらせても魅了するレベルに昇華する想像力の豊かさはかしゆかの才能に他ならない。
Perfumeの魅力の一片に留まっているが深みを与えた功績は大きい。

彼女たちの存在は知るものに『夢を持たせる』。

声色の魔術師
想像力の中でいろいろなパーソナリティを演じる器用さはいつどこで培われてきたのか?
多重人格~つまり乖離性同一性障害という病名がある、誰しも不運に名指しされこの症状を負ったら
人物の入れ変りが起き声色から仕草まで多用なパーソナリティを披露するだろう。
そもそも誰しも持っている素質であり無意識宇宙の深遠を垣間見るのだが、変幻自在にそれを
引っ張りだし、説得力を以って聞くものの情動に達する、音域構成を持つ人は稀である。
演じることが得意分野のあ~ちゃんも共通性を持つと考えられるが、かしゆか独自の声質は
真似の出来ない特質だ。

プラスティックヴォイス
かしゆかの澄んだ音声波長はエレクトリックな響きの中で生彩に浮かび上がる。
憂いを帯びつつ希望の光りを差し込ませる様な不思議な歌声は中田氏に
想像力を触発させると言わしめた。
Perfumeを彩る声質に変換され聴く者の内面にヴィヴィッドな世界観を映しだす。
トライアングルの親和性を高みにリードするのは"かしゆか"なのだ。

自我が認識するイメージは多分に個人的な色彩に彩られる。
なのに彼女のそれは共感を与える、そうでなければ他者の情動は得られない。
多面的変容の巧みさは、彼女の鋭敏な感受性が創出した賜物に思える。
ではその潜在的動機は何か?
人の心はある程度の安定をもって日々を送る、だがその安定を崩してまででも、
より成長しようとする傾向が潜む。
人生のどこかで変容する事が必要とされ、それに立ち向うことが要求される、
その過程に人間としての成長がある。「自己実現の過程」と換言できる。
これでいいのかと疑問やむなしさを感じはじめ、あるとき「認めたくないものを認める」
それが正しいというこたえは出てこない。
価値観の崩壊と再構築、発想転換、そこに新たなバイタルサイン(生命徴候)を
見つけたとき成長が約束される。
その作業の多さが豊かな多面性を育てる。

かしゆかはジンクスを壊したがる~No.13が好き、別れるという名所に恋人と言きたい云々
くせのあるキャラクターに魅力がシフトする(もやしもんのオリゼー?醸すぞ・・・)。
安易な推測だな・・・

P.T.A.ブログ
こまめに更新する性格。
自分撮りのたくみさ、素直な表現
ユーモラスな身振り手振り、表現のセンス。
セルフプロデュースの片鱗。
自尊心の発露

理想の恋人
『色白で、なよなよして、病弱な人』
あるバンドのギタリストがこの表現のモデルである。
具体的名前は避けた結果とも言える。
彼女の理想像は人間的な温かみ、素肌のぬくもりよりも
清廉な存在を求めていた。
かしゆか自身が潔癖症的な要素をもつからともいえる。

好な人といるとドキドキして気持ち悪くなっちゃうんですよ!!。 
ベタベタしてくる・・・うわ~気持ち悪い!

自身の近辺(活動範囲)に気になる人をゲーム感覚で見つけては
擬似恋愛模様を妄想の中で楽しむ得意技も関連付けられる。
それでも違和感を覚えるのはかしゆか自信が意識的に虚構性を
提示し"気づき"を暗に期待しているところにあると推察する、
元形傾向は変らないが理想の恋人はシフトしている。
つまり生の存在としての理想像は別にある。
ただし、注意しなければならない彼女も女性なのだ、
無駄に混乱させているようでしたたかな思惑があったりする。


ライブツアー
全国ツアーを熱望していたのは、のっちでもなく、あ~ちゃんでもなく
かしゆかだった。 誰よりも・・・
彼女が求めていたもの。
アイデンティティ、それだけではない・・・『記憶』である。
記憶は保持するものでなく育つもの、そして薄れるものでもない
実際は脳の中で、その記憶を核に感受性のインフラが張り巡らされ
ライブ(音楽)経験が豊かであればあるほど創造的な感受性が育ってゆく
音楽を愛するということ、それは
外界の音を聞きながら実は同時に自分の内面に耳をすましていること
彼女の心の叫びは、誰に、どう聞きとってもらえるのか・・・
感受性を育てる記憶、思い出となるまで
まだ届かないけど
いま、耳をすましている・・・・

写真
アーティスティックな側面
美しい空を見たとき、海を見たとき、山を見たとき、人は説明できないような情動を得る。
眼差しの中で熟成するもの、
じっと見つめられている感覚。
もっと彼方から発せられるもののようにも感じられるなにか。
その「自然がかえす表現行為」を彼女の撮った多くのスナップは教えてくれる。
かしゆかが写真を撮る行為は、
感受性が豊かであればあるほど、あるいは哀しみや喜びが深ければ深いほど、
その澄み切った境地は、彼女にとって素直な愛への陶酔や、人間性の信頼を
創造の源にできる、そう素朴に信じさせる、祈りに似た儀式のように思える。


詩 作
詩作という行為は
心の奥のわきあがる歓喜を縦糸に、やわらかな痛みを横糸に織り込まれる。
そして紡ぎ手の内心の視線がなにを切り取ってみせたかに心動かされる。
彼女の詩は「思い」の探求過程の発露である。
強い態度と弱々しい女心の矛盾が潜み、清らかな顔に淋しさが漂う
それでも模索と葛藤の中で、自己の立場を確立し、貫いていく・・・
詩篇の奥深い暗闇に流れ共鳴する物語の数々。

芯が強い分傷つきやすい
気がつかない方がいいこともある
彼女の深い洞察力は見逃さない
彼女のかすかな声(詩)を聞いた
シニカルな独白に慄然とさせられる
かしゆかのイメージとは違った
淋しさに震える孤独をその背中に感じる。
かくれんぼで見つかった"かしゆか"は
いちばんけなげで女の子らしいのかもしれない。

この世界で生きていく厳しさとは
すべてを手に入れながらも気づかず
埋めようの無い欠落感に苦しむ性にある。

『人生は計画の中で過ぎてゆき、人はやりたかったことを
やる前に死んでゆくものです。』
ヴォルテール

でも忘れてはいけない
きみのつむぐ『詩』は曖昧にゆらめく色彩なのに最後は白い光りになるね、
"かしゆか"きみの詩には愛という浄化がある。

愛は人をさらに成長させていく
いままで見えなかったものにも優しい光を投げかけてくれる
その姿がよく見えるように・・・


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



(さて、次ののっちを記す前にリセットしなければ
                  ・・・気持ち的にはしんどいな)

瞑想
自分の意識を水面下に沈める準備が整う・・・
意識はだんだん無に近づく
その後の一切は意識の彼方で行われる


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妄想のための妄想曲(話2/2)
~その3〈 のっち篇 〉につづく

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